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はじめに
2002/08 初版 2003/12/20 第1.1版
(近日更新部青色

【インターネットのもたらしたもの】

【私とパソコン、そして自作】

【当サイトの目的】


【インターネットのもたらしたもの】

 すごい時代になった。

 昔、知識はそれだけで財産であった。実学にせよ、歴史にせよ、知識を持っていることは人材としてとても重宝がられた。どんな時代であれ、知識人は社会の中で重要な役割を果たした。

 知識を得る手段としては口頭による伝達や直接経験などもあるが、書物というものが大きな役割を果たしたことは今更言うまでもあるまい。書物は経験・時代・地域を越えて知識を得ることを可能にし、その結果、「字が読める=書物が読める」ことが知識人の基本である時代が長く続いた。

 だが、近代に入り識字率が高くなると、ただ単に知っているだけでは必ずしも有力な武器ではなくなった。「百科事典のような知識を持っている」というだけではだめで、とりわけ新しい物事に関する知識が有力な武器になる。そのような知識には「情報」という言葉が当てはめられるようになった。いかに新しい情報を手に入れるか、それが今度は重要になっていった。

 先進国の人々は多くの情報を得る機会を得、むしろ情報に溺れる傾向さえ出てくるようになった。情報というのは重要なものも、そうでないものもごちゃ混ぜになって届けられることが多い。

 ここで言う「重要なもの」というのは絶対的なものではない。立場や時刻によって異なるものである。その結果、自分が必要な情報をどの情報源から引き出し、どのように整理するかが重要になっていった。

 そうなると情報を提供する側も従来とは異なる専門性が必要になっていく。いわゆる専門家と言われる人々が大学の教員や研究機関の研究者として登場したほか、それらの公的な地位でなくても自らの專門性を生かして活躍する人々の登場をもたらした。そして彼らの声を世の中に伝える産業として「マスコミ・出版」と一くくりにされる分野が発展していき、人々の情報獲得の必要性を満たしていく。

 だが、情報が溢れる中で、そうあちこちに情報のアンテナを張り巡らしておくのは容易でない。

 そんな状況の中、1990年代にインターネットが現れた。その登場は「マスコミ・出版」の助けを借りずに多くの人々へ向けて情報発信をすることを可能にした。すなわち、必ずしも専門家として職業についていなくても、多数の人々向けの情報提供が可能になったのである。

 このとき、驚くべき現象が発生する。
 通常、情報を提供するというのは利益の為に行われることが多かった。あるいは一つの社会集団の中で、伝統的に次世代へ知識を伝達するための必要性として強制・推奨された。
 ところが個人の情報発信が可能になると、それまで情報を持っていながらそれを外に出す機会がなかった人々を強く刺激することになった。そして目先の利益があるなしに関係なく、自分の持っている様々な情報をなぜかインターネット上に吐露し始めたのである。

 そのようにしてインターネット上に溢れ出た様々な情報は受け取る人々の知識欲・行動欲を一層かき立てた。しかも便利な検索エンジン(goo、googleなどの検索ページ)の活躍により、アンテナを普段から張っていなくても、必要な時に、必要なだけインターネットの中から探し出すことが可能になった。

 「情報化社会」という言葉が使われて久しい。だが従来の意味はどちらかというとますマスコミニュケーション、あるいは情報の細分化・精緻化の進展が注目されることが多かった。ところがインターネットの発達はそれまでの巨大化、精緻化された情報が簡易な形で獲得することを可能にしたのある。

 これは言い換えれば、あまりに深く、広くなりすぎた、世界に分散する様々な情報が、少しでも統一的な方向へと収縮・結びつき始めたことを表している。このような形の発展は明らかに従来の意味の情報化社会の意味の枠では捉えられないものである。

 このようにして、個人一人一人に分散されていた類の、些細な、しかし貴重な情報が、同じ情報網に加わることが可能になったのである。


【私とパソコン、そして自作】

 私は子供の時からパーソナルコンピュータを与えられた贅沢な子供であった。もともと父親は自分が仕事に使うことを想定して買ったようであるが、その最初のパソコンNEC製のPC-8801mkIIは1984年頃、私の部屋に置かれた。
 私は少しだけ、BASICというプログラム言語を使って、本などに紹介されているゲームプログラムを打ち込んだことがあったけれども、それ以上は進まず、すぐにパソコンはゲーム機と化した。当時は家庭用ゲームコンピュータが普及し始めた時期であったが私はパソコンをゲーム機代わりにしたのである。

 それはコンピュータがPC-9801になってからも、大学の工学部に入ってからも継続した。(父親自身にとってもそうだったのであるが)パソコンは私にとってゲーム機にしか過ぎなかった。それ以外の用途の必要性を感じなかったし、興味もなかったのだ。

 それに変化が現れたのは工学部の研究室に入ってからである。そこではコンピュータがまさしく研究の道具として使われており、コンピュータを使うことが少なからず必要な世界であった。

 ところが研究室でのコンピュータ利用法に関する再発見はそれだけではなかった。それがインターネットだった。
 インターネットコミュニケーションがもたらす面白さはいつの間にか私を虜にした。当時、私は「虜にされた」とまでの自覚はなかったけれど、明らかに虜にされていたし、また同程度に虜になった人々は多くいた。これ以降、私にとってコンピュータは本当に多様性を持ったツールになり、必要不可欠なものになっていく。

 だがコンピュータは私にとってツールでしかなかった。

 ゲーム、音楽を聴くこと、映画を見ること、
家計簿記録、メモ記録、住所録、日記、
ホームページ作り、メールコミュニケーション、
ネットオークション、ネットショッピング、
地図、時刻表、その他様々な情報の入手

それらをするための道具としてパソコンである。

 工学部の院を出て取りあえず就職した私は、親しくなった先輩から自作を勧められたのをよく覚えている。その勧めを私は笑って拒絶した。なぜならパソコンをツールだと思っている私にとって、ツール自体を作ることには魅力を感じなかったからだ。その時の先輩の意見はおそらくある程度正しいものだったであろう。

「少し知識を得れば同じ値段でスペックの高いコンピュータを得ることが出来る。ずっと得じゃないか?」

それに対して私は言った。

「知識を得るには時間が必要だ。私は今、やりたいこと、時間を割きたいことが他にある。確かに得ではあるのだが、それは時間を払っての対価であり、私にとってはそれを払うほどの価値は、自作パソコンにないのだ」

当時、ネットを定額料金で出来るような環境はなく、月に1〜2万以上の電話代と5000円のプロバイダー料金を払っていた。その後、親友にパソコンを作って貰った。パーツ買いは一緒にしたけれど、組み立てたのはその友人だ。初めてのDOS/V互換機だった。Windowsの存在はPC-9801からDOS/V機への移行を容易にしてくれた。

 一方で実家ではメーカの高い値段のパソコンを家族で買った。


【当サイトの目的】

 その後いろいろなことがあった。時間は出来たけれど、金はあまり出せない状況になる。安パソコンの入手を友人にひたすら頼むわけにもいかなくなった。

 やむなく、私は調査を開始した。そして自作パソコンが思ったよりも容易であることが分かったが、感動したのはパソコンに対する感動よりもインターネットによる情報獲得の容易性であった。

 自作パソコンではいくつかのパーツを組み合わせて組み立てるわけであるが、それぞれのパーツにたくさんの種類がある。それらのパーツの性能、相性、またメーカなどが明示しない長所や欠点がある。出来る限り、そういうものを得なければならぬ。ところがインターネットには個人でそういう情報を提供している人々がたくさんいる。

 あるパーツが気になったらその型番を検索頁に入れてみると良い。メーカの頁のみならず、得てして個人で批評している頁を見つけることが出来るだろう。以前にはどれくらいの値段だったのかも分かる。しかもそのパーツと組み合わせて動作する別なパーツも知ることが出来る。

 加えてネットオークションを利用することで、希望のパーツを安価に、容易に手に入れることが可能になった。無論、オークションにはリスクがある。しかしながらもともと自作にはリスクがあり、たとえパーツショップから買っても相性的に合うかどうかは万全ではない。それならばオークションで手に入れるのも変わらない。

 ただしネットオークションで詐欺が行われる商品に十数万から数十万のパソコンがとても多いことは注意しておく必要がある。いくらオークションが便利だからと言ってそうそう美味い話があるわけがない。人気のいかにもありそうなハイスペック・有名メーカの高いパソコンがオークションで安く手に入ることは期待すべきではなく、またそういう商品はしっかりした店でも実はあまり値段が変わらなかったりする。値段が変わらないのならばきちんとした店から買うに越したことがないのは言うまでもない。

参考:オークション事件顛末記価格コム

 だがパーツに関しては詐欺の対象になることは難しいと思われる。というのも値段的に十万以上なることは希であろうし、出品者の過去の履歴からその人が自作に関してどれくらい精通しているを判断することも可能だからだ。自作派に詐欺がいないとは言わないが、効率の良い詐欺になるとはあまり思えない。

 さて、ここの私の頁「電脳もの」は私のパソコン経歴を残す為のサイトである。その目的は上述したように、インターネットのもたらす個人情報発信の素晴らしさを痛感したからだ。

 パソコンについてだらだら書かれた頁は私自身、興味がない。それにも拘わらず、この頁を設けるのは私自身が自作・改良の際に上のような頁を役立たせて貰ったからだ。

 「自作をするにあたって、多くの人の頁を参照させて貰った。それならば私もサイトを持っている者として、パソコンの履歴を書き、動作の検証等を明示させることは義務なのではあるまいか」

そういう気持ちがこの頁を作った理由である。「自作パソコン」ではなく、「インターネット」に。万歳!


竹本泉トランジスタにヴィーナス 3」(メディアファクトリー)

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